母という存在の原点。
こんばんは。
親勉チビーズ代表のいしいおうこです。
本日も開封をありがとうございます。
今日は、母の日でしたね。
それぞれの母の日のカタチがあったと思います。
わたしは、実母は、他界しているので、
ありがとうって直接言えないのですが、
今日は、だから、ちょっと母の話を。
昨日ね。
覚悟したらいいだけなんだ。
わたしが守るから。
っていう話を書いたと思いますが、
まあ、昨日の叱れない育児のメルマガ、大大反響でした。
それはそれは、50通近く返信が来ました。
みんな、思ってるのねええ。
その続きをね、今日は、書こうと思います。
今日のメルマガ
昨日の続きでもある。
母という存在の原点。母の日だからね。
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どうして、わたしがね。覚悟なんだって、
思うようになったかというと、
実は、母が、言ったんです。
わたしがね。
3才の時に、幼稚園受験してね。
まあ、2時間近く待合室で待たされて、
ほら、わたし、頑固でしょ。
怒ってね。待たされたことに。笑
面接で一切口をきかなかったの。
どの質問をされても、口を真一文字に結んでね。
名前すら、返事すら、言わなかった。笑
で、おうこちゃんってそうだったのよ。って言われました。
案の定、落ちたんだけど、
周りで心配した人がいたんですよ。
どうするんだ、おうこは。って。
どこに行くんだって。
その時ね。
母は、なんて言ったかっていうと。
別にどこだっていい。
わたしが最終的には教えるから。
わたしが面倒見る。
って、言ったんです。
当然ね。
わたしは、そんなこと知らずに
育つのですが、
ある時、母が話してくれてね。
そうだったのよって。
でも、母は、全然心配してなかった。
だって、幼稚園だって、学校だって、嫌だって言ったら、
母である、わたしが面倒見るからいい。
って思ったの。って言ったの。
それが
わたしにとって
母という存在の原点であり、
すべてです。
そしたらね。
エジソンだって同じなの。
トーマス・エジソンも学校追い出された時に、
そう覚悟したんです。
ふふふ。
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<親勉チビーズとは>
親勉チビーズは、4歳以下のお子さんに向けたコンテンツです。
従来のモンテッソーリ教育である微細運動や感覚教育に
親勉の5教科を加えることにより、乳幼児のうちから
遊ぶように学ぶことがより可能となった
今までにない画期的な内容です。
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